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≪ 『マンガはなぜ面白いのか』 夏目房之介 | 続・Opera9.5正式リリース ≫

[心理] “インターネット”は純粋な幻想か [長文]

 まずはこの記事を参照されたい。

 いい加減、インターネットという共同幻想から目を醒ましたらどうですか (Thirのはてな日記, 2008, 6, 24アクセス)

未だに、インターネットは現実とは全く違う理念で動き、そして独自の世界を築き上げていると思っている人がいる。(中略)実際本当にそうであるのかは全く確認されていないのにもかかわらず、「インターネットだから」という理由だけで、現実とは違う<何か>が存在するような錯覚を持ってしまう。

錯覚を錯覚と認めよう。もう、インターネットの独自性なんてものは存在しないのだ。

 確かに主にマスメディアなどによる「インターネット」なる語の適用範囲には誤謬を誘う要素があると言わざるを得ない。インターネットとはツールであり、本来的に現実の人間によって構成されるコミュニティであるという主張はもっともだ。

 しかし、それ故にインターネットの独自性は皆無であるという主張は飛躍であろう。なぜなら、ツールの違い(フェイストゥフェイスか否か)によるコミュニケーションの特性の違いがまずもって想定されるからである。

 では、インターネットとはどういったツールなのか。宮田(2005)の著作から紹介してみる。


 インターネット上で形成されるコミュニティ(以下、オンライン・コミュニティ)の特徴とはどういうものであろうか。オンライン・コミュニティに関する研究は社会学、社会心理学の分野でなされている。

 宮田(2005)は、オンライン・コミュニティとは利用者が共通の関心テーマのもとに集いコミュニケーションをする社会空間であるとし、その特徴として以下を挙げている。

  1. 匿名性の高いコミュニケーションが可能である
  2. コミュニケーションが蓄積的である
  3. 参加者が自由意志でコミュニケーションの関与の程度をコントロールできる
  4. 水平的なコミュニケーションが行われている

 これらはよく語られる、直観的にわかりやすいインターネットの特徴であるが、これによってどういう影響が生ずるのか。


 CMC(コンピュータによるコミュニケーション)では意思決定が偏ることが知られている。Kiesler & Sproull(1992)の研究では、FTF(対面)の会議に比べて、CMCの場合は意見が極端な方向へシフトすることが示された。

 これはこの頃よく耳にするような、ネット右翼などといった言葉が生まれる背景である。現実場面ではもっと中庸よりな意見が多いと考えられるが、CMCにおいてはそれらの意見が駆逐され、勇ましい方向へ勇ましい方向へと意見が歪んでいく。またメディア作品などについての「信者」「アンチ」の二分構造などによって表出することが経験的に理解されると思う。

 極論化には色々要因があると思うが、一つはコミュニティ集団への過度の同調である。これは、CMCではコミュニケーション対象者を個人としてではなく、そのとき顕現している社会的アイデンティティ(役割)によって捉えるというSIDEモデル(Lea & Spears, 1992)の文脈で説明される。役割によって捉えることで、仲間集団の規範へ過度の同調が起こるのである。

 発言だけならいいが、極端な発言をすることによって、自己の本来の態度をその方向へ変容させることがある。これはネットに限らないが、興味のある方は自己推論だとか認知的不協和とかいうキーワードで調べて頂きたい。認知的不協和の実験もおもしろいのだが、紹介は長くなるので割愛する。


 オンライン・コミュニティとは共通の関心テーマのもとに集う社会集団だと引用した。共通の関心を持つということは、非常に同質的なコミュニティができやすいことでもある。大抵は、ネットの特徴である自己開示のしやすさから、時間の経過と共にお互いをよく知るようになると同質性が薄れていくと考えられる。実際に、オンライン・コミュニティは比較的弱い紐帯によって支えられているという考えもある。参加の自由さゆえに離脱可能性が高く、コミュニティ参加者の入れ替わりが多いことが報告されている(池田・芝内, 1997a; Cummings, butler & Kraut, 2002)。

 一方で、接触頻度が高い、自己開示が多い、オフ会などによる複合的なコミュニケーションを行うといった条件の下で、強い紐帯のネットワークを形成することがある。特にここではセルフ・ヘルプ・グループ(SHG、特定の問題を共有する者が互いに助け合いながら個々の問題を解決することを目的とする集団)に言及する。

 育児支援であるとか、特定の病気のような、目的・問題を抱えた者も、オンラインSHGを通じて「孤立」から「少数者」へと認識が変化し、精神的健康を向上することが可能になった。一方で、悪意に対して無防備であるとか、サポートの範囲や適切さに限界があるといった問題もあり、より有効な利用方法が検討されている。


 また、ネットでは匿名性の高さと自己開示しやすさから、マイノリティでもコミュニティを形成しやすい。例えば、理解を得られにくいような、同性愛者やオタクといったマイノリティのコミュニティである。そうすると、それまで抑圧されていた者達にエンパワーメントが起こり、社会的地位を確立していく。アメリカにおいてゲイパレードが盛んになったのもインターネット以後である。

 不当な抑圧に対する反発という利点がある一方、問題点として、強い紐帯故にそれぞれのコミュニティが閉鎖的になりやすく、同質性と排他性が高いことがある。例えば、思想が極論化し、それにそぐわない者が排除されるなど。

 また、反社会的活動・思想についてもエンパワーメントしやすい事が挙げられる。「インターネットでは犯罪者が共犯をつのりやすい」とかいったような言明は、これだけでは正しい。問題は事実認識から我々がどういう意思決定を行うかだろう。


 他にもいくらでもあるだろうが、インターネットによるコミュニケーションの特徴を挙げてきた。インターネットは明らかにツールであるが、「ツールの有効活用」以前に、インターネットというツールに対する信念、あるいは幻想があるが故にオンライン・コミュニティが存在することに留意しなければならない。インターネットが現実と違うという信念がなければ、そもそもインターネットは普及しなかった。そしてその信念が持続する限り、オンライン・コミュニティは参加者の主観の適用によってその特質を保持する。

 後はリテラシの問題である。マスメディアがインターネットを嫌うように、インターネットのヘビーユーザはマスメディアを嫌いがちである。それは例えば、テレビや新聞というメディアの受動性や、発信者の信念による内容のバイアスなどに起因する。こうして一部のインターネットユーザは自身にリテラシがあると思いこみ、インターネットを使うところで思考を停止してしまっていないか。テレビがあおるインターネットの悪意は全て嘘だと思いこんではいないか。私に言わせればそれこそが幻想である。

 本当のメディアリテラシとは、メディアが持つ利点・欠点を把握した上で、情報に批判的態度で接し、意思決定を行うことができることであろう。その点で、インターネットが内包する問題点、非インターネットとの相違点を自覚することは重要である。私がはじめに挙げた記事に対する駁論をこうして書いてきたのは、記事自体がインターネット的極論として発信されたものでないかという疑義に基づいていることを述べておく。


主たる参考文献

  2005, 宮田加久子『きずなをつなぐメディア ネット時代の社会観系資本』, NTT出版

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