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BSマンガ夜話 『よつばと!』

よつばと! (1)
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 BSマンガ夜話見てきた。相変わらず夏目先生はすげーな。ゲストの宮地真緒さんもすげーちゃんと読んでてびっくりした。今回は(今回も?)岡田斗司夫が浮いてたな。あの細かさが今回は空回りという感じ。

 おおよその方向としては『よつばと!』はまず、1.よつばの主観を排していて2.俯瞰的、あるいは客観的なところから見ているようなマンガであるということ。さらに、3.「リアルでないリアル」を描こうというマンガであること、といったところでしょうか。

 私はだいたい、いしかわじゅんあたりと似たような読み方してましたねえ。ちょっとくらいちゃんと言及してみよう。

『よつばと!』の世界

 私は、『よつばと!』は子供の原理を描いたマンガだと言ってしまっています。子供というのは大人と比較されて意味をなす概念です。

大人 ―― 子供
理屈 ―― 感情
打算 ―― 純真
安定 ―― 不安定
コスモス(秩序) ―― カオス(混沌)

 こんな対立構造を持ってます。『よつばと!』は私に言わせれば、子供の原理を大人の原理から傍観するマンガです。


 よつばの主観を排している、ということが番組でも強調される。夏目先生によると作者のあずまきよひこ自身がインタビューで言っていたとか。

 夏目の目で指摘された8巻収録の第49話で、自転車をよじ登るシーン。これはほとんど同じコマだが、よく見ると微妙に視野がずれている、という手法があることに気が付く。これを、「カメラが捉えている映像を画像化したもの」と言った。

 これはかなり鋭い視点に思います。つまり、主人公はよつばなんだけど、よつばを見守る大人という視点が読者に対して与えられているということだ。これは意識してやっている。

 だからよつば自身のモノローグなどの主観は徹底的に排除される。

 さらに言えば、それは中に入っていけないものだという線引きでもあると思う。大人の理屈では子供の直観的世界という原理を理解することはできない。だから見ることでしかよつばという存在を意識できない。よつばの意思は見て聞いて読み取らないといけない。

 これを描けるというのは並大抵のことじゃあない。猫と一緒にするのもあれだけど、ギャリコの小説『ジェニィ』なんかに近い観察力と想像力に裏打ちされた世界だと思う。


 『よつばと!』の面白さっていうのはここなんだな。「日常ってこんなに面白かったんだ」という発見と、「実際我々の日常ってそんなに楽しいものじゃない」という感覚が、ここでは共存が許される。

 我々は日常ってこういうものじゃないんだ、と知っている。だから『よつばと!』の世界はファンタジーだ。けど、どこか子供ってこうだよね、っていう気持ちになれる。現実の世界を横に置いておくことで、日常の再発見ができる。そこを指して切ないマンガだと言っているんだな。

 もの凄く穿って言うと、よつばという存在があることで初めて、日常にささいな喜びを見つけられる(そういうものとして記号的に描かれる)。でもよつばはファンタジーなんだ。だからその空虚さが切ない。

 リアルでないリアルというのはそこの部分だ。知ったような言い方をすれば、あずまきよひこは「大きな物語」を信じていない。「小さな物語」あるいは見える範囲という意味での主観的世界だけを描こうとしている。

 そのことを踏まえると、よつばは記号的な存在だという見方がするっと飲み込めると思う。


 そして重層性。『よつばと!』の世界は多様な読みの可能性を残す、と岡田が言っている。ここの鍵は綾瀬家が握っていると思う。

 三姉妹という設定は年代の違う視点を提供する。子供から大人に近い大学生まで、さらにそれよりちょっと上のとーちゃんたち、よつばと同じ次元でケンカをするやんだを入れて、これだけ多くのカメラを用意してる。大人の原理の持ち主はよつばに共感することは不可能だが、この多層構造がフィルタとなって誰かしらが引っかかるし、いろいろな見方は面白さそのものにもなる。

 ついでに言うとキャラ萌え的嗜好層(オタク層)もカバーできる、というのは完全に『あずまんが大王』の遺産だな。いしかわじゅんの言うように全部捨ててきた、というわけじゃない。

よつばと! 8 (8) (電撃コミックス)
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 結局まとめちゃうとどこでも言われているようなことになってしまう。そういうシンプルさは意図的に出してると思うんだけど。

 つまり日常の再発見というものが根底にあるんだ。それはリアリズムに端を発する私小説的なものではない。つまりサザエさんみたいなのを目指してはいない。あれは日常そのもので、よつばとはそれを発見しないといけないんだな。

 そのための演出方法というのがとびっきり上手い。

 夏目先生はクレヨンしんちゃんではなくてぼのぼのに繋がっている作品だと言ってましたね。「下品でないクレヨンしんちゃん」という喩えは結構好まれて使われてきたんだけど、私は完全に別だと思う。しんちゃんは大人の原理で動いている子供というのがギャグになるマンガだ。

 ここまで「子供」というものを描いたということが凄い。夏目先生がこの世界観を、よつばにとっての「楽園」という言い方をしたのが凄く腑に落ちた。その視点はなかった。

 よつばはペットじゃないんだ。例えば猫よりは犬好きの人なんかによくいると思うんだけど、ペットの気持ちを勝手に想像して“遊んであげ”て「よかったでちゅねー」とかねこなで声で会話してみたりみたいな行為がある。服を着せてみたりする。私に言わせると投影ですね、自分が想像するところのワンちゃんという人格を造り出して、擬似的なコミュニケーションをする。あずまきよひこはよつばに対するそれを許していない。作中のキャラはもちろん、読者さえ距離を置いたところにとどめて観測者にとどめる。


 長くなってしまった。それだけ好きだってことです。なんか小説のときよりよっぽど熱くなってるな。マンガ夜話という番組がいけないんだけど。

関連タグ: マンガ漫画よつばと!

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